エブリデイ下痢

生きんの大変

共感

 久しぶりに活字を読んだ。

今超絶話題の『推し、燃ゆ』。

アイドル、SNS、ファン、自分の人生を絡めて展開される物語に、正直かなり引き込まれた。

これを99年生まれが書いたの、すごい分かる。

以下、小説の内容を含む読書感想文のような共感を装った隙自語りです。

 

 

 この小説を面白いと感じるかどうかは、やはり主人公の『あかり』にどれだけ共感できるかどうかにかかっていると思った。

あかりの流れに身を任せる生き方と、アイドルの推し方。

どちらにもある程度共感できないと、この本は面白くない。まず理解ができない。

だから肝心のオタクから賛否が出たのだなと思う。

 

 主人公のあかりは高校生だ。

何の病気か作中で言及されてはいないが、恐らく彼女は発達障害学習障害の類であり、昔から学校の勉強にはついていけず、バイトも作業の優先順位が付けられず叱られる。

SNSのフォロワーはそこそこで、推しを自己流に解釈したブログが人気。

父が単身赴任中で、小言の多い母と姉の3人暮らし。

学校の友達は『成美』以外は有象無象で、推しがあかりの生活の中心だった。

 

 物語は終始あかりの視点で進んでいく。

推しが尊い。息をしているだけでかわいい。顔が良い。

自分も一度ならず何度も何度も口にしたことのある台詞だと思ったし、良く見る有りがちなオタクのつぶやきだ。

あかりの推しが女を殴って『燃えた』後も、彼女の推しへの感情は変わらなかった。

同じグループが好きだった成美が、触れ合えるという理由で地下アイドルにシフトした時も、あかりは少しも推しから心を離すことはない。

 あかりは所謂認知というものに興味が無かった。

ただ推しが好きで、でもそれは恋愛的な意味を持たない。

バイト代を注ぎ込みCDを何十枚も、グッズをいくつも買って推しに還元するけれど、見返りが欲しい訳じゃない。

 ここでガチ恋と呼ばれるオタクは脱落する。

推しが炎上した時に『いくら貢いだと思ってんだ』というようなオタクは『貢ぐ』の意味を辞書で引いてから出直して来て欲しい。

お金を出さないオタクは最早オタクでは無いので黙る他ない。

『学生』は違法音楽アプリを使用する言い訳にはならない。

あかりは学生だから、という言い訳を使わずに推しにバイト代を注ぎ込んでいるのだから、オタクの鑑だと思う。

実生活を疎かにしているので良いことかどうかは分からないが。

 

 

【推し】

 人生が上手くいかなくて、でも自分ではどうしようも出来なくて、前進も後退もせず、そのまま沈んでいってしまうのではないか。

漠然とした不安や焦燥感が精神を蝕んで、ちょっと駄目かもしれないと思うとき、私たちは推しに出会う。

きっかけはなんだって良い。たまたま見たMVでも、CDショップで見かけたジャケットでも、今まで触れてこなかった世界にも推しは居たりするのだ。

 推しは私たちを新しい世界へ導いてくれる。

人間は基本的に、欲求を満たしてくれる存在に依存する。

例えば家族、例えば恋人、例えば友人。

実際に自分と関わりのある人物がその欲求を満たしてくれれば良いが、そうでない人は芸能人のように自分と関わりの無い人、または二次元などの架空の人物でそれを補うようになるのだ。

推しにまつわる情報を芋づる式に調べていくうちに、知識欲が満たされる。

何度もサイン会に通って推しに認知されれば、承認欲求が満たされる。

手に入れたグッズや他のファンとの繋がり、また推しを推すことによって得たSNSのフォロワーを保持、保存したいという欲求も推しを推すことでまた満たされる。

何よりあかりは『推しを推している自分』に価値を見出していて、それは推しがいなくならない限りは他者から領域を侵されない『不可侵』と、現実から逃避することで自分を守る『防衛』の二つの欲求を満たしていたのだと思う。

 欲求が満たされることで、不安が消える。精神が安定してくる。

乱れた自身を立て直すのは家族や友人ではなく、推しだと気づいたその時に、推しは神さまになる。

 神さまは、私たちを救ってくれる。

私たちの存在を肯定し、感謝までしてくれる。

そのままで大丈夫だよと安心をくれ、頑張れと応援をくれる。

たとえそれが個人に当てたものではないとしても、私たちにとっては光そのもので、生きる理由にすらなり得るものなのだ。

 

 学校の課題は忘れるけれど、推しのインスタライブの時間にはちゃんとアプリを開くことが出来る。

就活はできないけれど、推しのコンサートには行くことが出来る。

自分の将来のことは何一つ考えられないけれど、推しの行く末は案じられる。

あかりはいつだって、推しを通して世界を見ている。

眼球にフィルターが備え付けられているみたいに、全てが推しへと帰結するのだ。

この前推しが飲んでいたという理由でコーラを飲み、推しがハマっていると言ったから炙りサーモンの寿司を食べる。

歴史上の人物を覚えるのはどれだけ時間があっても無理だけれど、推しが演じた役名はすぐ思い出せる。

雑誌のインタビューでよくある『好きな女性のファッションは?』の質問は当てにならない。あれは多分目についたものを言っているだけだ。

最近は「その人に似合っていればなんでも」という回答が増えた気がする。今は何にでも配慮が必要な時代だから。

 

 推しが韓国にいれば、韓国と日本の情勢に無意識に神経を尖らせる。真面目なニュースを見るようになる。変なところで推しに皺寄せがいくのは嫌だ。

国どうしがどれだけ争っていても良いけれど、アイドルとファンの間には介入してこないで欲しいという、自分でも支離滅裂だなと思うようなことを、割と真剣に思う。

世界が丸ごとひとつになったら、推しが話すことを一語一句、翻訳しなくてもそのまま理解出来るのに。

あかりと自分の共通点は、推しを『理解』したいと思うことだった。

 

 この前のインスタライブで一瞬笑ったのはどうしてかとか、YouTubeに上がった動画であのメンバーと気まずそうだったとか、大手が上げた空港写真を見て思うところはあるのかとか。

推しが何を考えていて、どう感じるのか、他人には絶対に理解できない内面を、理解したいと思う。

こんなものは不可能に近いし、多分誰にも出来ないんだろうけれど、それでも推しを分かりたくて、推しの一挙手一投足に敏感に反応するのだ。

『理解』は出来ないから、自分なりに『解釈』をする。

解釈をするには時間がかかる。

同じ番組を何度も見返して、同じラジオを何度も聴き返して、同じインタビューを何度も見返す必要がある。

推しが良く使う言い回しや、言及したくない話題が分かってくる。

指を組む時は右が上だとか、苛つくと爪を噛むとか、嘘をつくと鼻が動くとか、小さな癖から心理状態を推測する。

そうして自分の中で再構築された推しは、気持ちの悪いオタクの妄想でしか無いし、自分の中の推しが実際の推しにぶち壊されることもある。

答えは永遠に出ない。推しの内面は誰にもわからない。

 

 でも、それが良いのだと思う。

好きだという感情は長続きしない。

嫌いとか憎いとかネガティブな感情は乾パンみたいに長持ちするが、ポジティブな感情は生モノくらい足が早い。

だから、自分の中の推しを壊して、新しく作り上げることで『好き』をアップデートする。

忘れかけていた過去のエピソードをひっくり返して、やっぱり良いなと思い直す。

そうやって推しを好きでい続けることは、簡単そうで結構難しい。

推しを解釈するには労力がいる。

お金だけじゃなく、生活に必要な労力も推しへと向かっていく。

あかりは病気のせいで普通の生活がままならない子であったが、推しがそれに拍車をかけたのだ。

 

【推しとは私】

 炎上してからの人気投票で、かつて1位だった推しは最下位になった。

あかりはそれを液晶画面越しに見て、ファンとしての使命感に駆られた。

自分の持てるもの全てを使って、全身全霊で推しを推さなければ。

あかりの生活から、推しに関すること以外、ほとんどが削ぎ落とされていく。

あかりは高校を中退した。お金を稼ぐ為にバイトはキツいけれど続けた。

推しのためだけに生きると言うのは大仰だけれど、他に生きる理由なんてものが思いつかない。

バイトを続けるのなんてアイドルを推す為だし、早起きして1限に出るのだっていつコンサートが入っても授業を休めるようにの保険だ。出席日数は稼いでおくに越したことはない。

人生の軸?そんなものがあったらアイドルオタクなんてしていない。

そういう時期が確かに私にもあった。

 

 あの時、推しは私ではないけれど、私は推しだった。

推しが褒められれば私も誇らしくなったし、推しが怪我をすれば私も泣いた。

推しがSNSに上げた風景の写真を見て、自分もそこに行った気になった。

推しには笑顔で、ずっと幸せでいて欲しかった。

推しが悲しいと、辛いと、私も同じになるからだ。

あかりも私も、推しの感情をなぞって、あたかも自分のものかのように振る舞って、満足していた。

 推しを推している間は、推しの人生は私のもうひとつの人生だった。

小さい頃から可愛いと評判で、大手事務所の練習生になった。

少し傲慢で自己中心的なところがあるけれど、それを凌ぐ才能があった。

記憶は私の中で生まれ、私のものになる。

 私はアイドルだった。

ツアーでアメリカやタイにも行ったし、髪だって派手な色にして、ブランドもののバッグに落書きをしてみたりした。

空港に押し寄せるファンを鬱陶しく思った。

肝心の自分の人生には何一つ肉がつかないまま、スカスカだったけれど、それもあんまり気にならずに過ごした。

本当はずっと前からあった父との確執も、普通になりたいと願った将来のこともどうでも良くなったのは、大学2年生の後期のテスト期間中に韓国までコンサートに行った時だったと思う。

 

【私】

 あかりの祖母が亡くなって、彼女はとうとう自分の家族と向き合うことになる。

母は自分の思い通りにならないあかりを叱責し、父は就活の進まないあかりに理解を示そうとしない。

更には「ずっと養っている訳にもいかない」と成人前のあかりを家から追い出そうとする。

誰もあかりの話を聞かなかった。聞こうともしなかった。

「分かるよ、でもね」と否定する。否定するってことは分かってないじゃないか。ちっとも聞いていない。

私は大学に進学する前、進路について一度だけ両親と話したことがある。

将来について話したのは、恐らくその一度きりだ。その時のことを思い出した。

私が大学に進学したいと言ったら父は「は?」と言った。

まるで私がちゃんちゃら可笑しなことを言ったみたいな反応で、口は半笑いだった。

就職活動をするにあたって、今や大学卒業は必須である。

私はそれを伝えて、学費を全額じゃなくて良いから負担して欲しいと頼んだ。

何ら不思議な話ではない。

子どもがやりたいと思うものを、学びたいと思うことを、親は否定してはいけないと私は思う。

経済的に苦しいなら子どもを産むべきでは無いし、金銭面で子どもに格差が生まれるのは納得がいかない。

しかし父は首を縦には振らなかった。

「女はどうせ結婚するんだから大学なんて行かなくて良い」と言った。自分はちゃっかり大学を卒業している癖して。

私はその時に、家族だからとか、親だからとか、そういう血の繋がりに期待することをやめた。やめたというか、諦めた。

奨学金を借りて大学に通うことにした。

母方の祖母が少なくはあるがお金を出してくれた。

普段は口出ししてこないのに、娘が人生の岐路に立った時、道を塞ぐ父親が心底理解出来なかった。

母も専門学校を卒業していたし、誰も自分の気持ちを分かってくれる人はいないのだなと思った。

やけくそで書いた指定校推薦の申請書が通って本当に良かった。

あれが無ければ今頃私はフリーターだっただろう。

フリーターが駄目という話ではない。

私は『普通』になりたかった。

高校、大学を卒業し、企業に就職するというテンプレートをやりたかったのだ。

予め用意されているルートを辿るのは楽だ。考えなくていいから。

何にでも意味を持たせるのは疲れる。貴学に進学する理由とか、御社を志望する動機とか。

みんなやってるから、では何故駄目なのか。別に悪いことをしている訳じゃない。

社会は『普通の人』向けに作られている。普通じゃない人には優しくない。

予め用意されているルートは、普通の人向けのものだ。

そこから外れれば余計な苦労をしなければならない。それが嫌だった。

 

 大学に入学してからはバイトに励み、あかりほどではないが、推しに還元する生活をした。

頻繁にコンサートに行っても、棚に入りきらないほどグッズを買っても、単位さえ取れば母は何も言わなかった。

父は何か言いたげにこちらに視線を寄越していたが、全て無視した。

私は普通になりたいだけだったから、将来のことなど考えていない。

適当に授業を受けて、バイトをして、推しに寄り掛かって生きた。

友達とアイドルの話をするのが楽しかったし、アイドルのお陰で仲良くなれた。

推しは他人と自分を薄い関係で繋げてくれる。

私の生活に推しが溶け込み、絶対的な存在になるのは必然だったように感じる。

 

 あかりの姉は、一進一退すらせずずうっとそこで回り続ける会話に、「とりあえず、あかりを一人暮らしさせたら」と提案した。

あかりの姉は「普通の人」で、幼い頃は「普通じゃない」あかりが母に構われるのを妬ましく思っていた。

長女は「出来て当たり前」だと言われる。母の理想を押し付けられる。

なのに次女は出来なくてもそのままで、圧力も何もかも感じていないように振る舞う。

 私の弟が高校卒業後の進路を、就職と書き込んでいるのを見た。

「進学しないの?」と聞くと、「別に行きたいとこないし」と返ってきた。

5つ年下の弟は『普通』に拘らない人間だ。

勉強は全然出来ないけれど、運動神経は良く友達が多い。

私が寝る時間を惜しんで叩き込んだ英単語も、彼は必要ないとばかりに蹴り飛ばし、テスト前に友達と映画に出掛けていく。

テストの結果が散々でも、茶化すのが得意で話術に長けている弟は、母の怒りを鎮めるのが上手い。

母の顔色を伺って、テストで良い点を取れるように必死こいて勉強した自分が馬鹿みたいだった。

私は推しがいてようやく世界に色がつくのに、推しなんかいなくても人生を謳歌している弟が羨ましい。

でも、「姉ちゃんくらい勉強出来れば、俺も大学行きたかった」と弟が言ったから、私たちは無いものねだりなんだと思った。

弟は阿保なので、無いものねだりが通じなかったらと思うと怖くて、私は「そっか」とだけ言った。

 

【推しと私】

 あかりは亡くなった祖母の家に越し、一人暮らしを始めた。

相変わらず推しが中心の生活は、SNSのお陰で孤独を感じない。

実際に周りで出会うことは少なくても、ネット上には沢山のファンがいる。

同じ番組を見て、リアルタイムで感想を投げ合える仲間がいる。

顔も名前も知らないけれど、確かにそこにいるファンはアイドルの存在を確固たるものにして、世に知らしめる。

 推しとの別れは唐突だ。

学校に入学して、3年経ったから卒業ですハイさようなら、というように予め別れが決まっているならば、それがどれだけ寂しくても受け入れることが出来る。

しかし、アイドルとの別れはいつだって突然なのだ。

怪我、自殺、スキャンダル。

それによるグループの解散、推しの脱退や引退。

お知らせはいつだって、事務所より何とか速報とか何とかニュースの方が早くて、うんざりする。

あかりの推しは、グループ解散に伴い芸能界を引退した。

本人の口から語られただけマシだったが、それでも唐突なことに変わりはなかった。

 

 解散前最後のコンサートで、あかりは推しを失うことに酷く寂しさを覚え、生活の軸を引き抜かれてしまうことに恐怖すら感じていた。

 終わるのだ、推しを推す生活が。

人生の軸にいた推しがそこからいなくなってしまったら、彼女は空っぽになってしまう。

私はあかりより先に空っぽになったから、その虚しさがよく分かった。

人生を丸ごとかけていた彼女と同じにしたら失礼かも知れないけれど、私の中心にいた推しはだんだんと薄くなり、やがていなくなってしまった。

私の場合は生活が忙しくなって、推しにかける労力が無くなってしまったことが原因だが、やはり寂しいものは寂しい。

 推しのいない生活は、ぬるくて、ふわっとしている。

血が沸騰するような熱さは感じないし、何かを頑張る気力もイマイチ出ない。

そのくせぼんやりしていても時間だけは進む。

推しが色をつけてくれていた世界はどこか霞んだまま、毎日が過ぎていく。

 

 あかりの父が「働かない人は生きていけない」と言ったとき「なら、死ぬ」と答えたあかりに「分かる」と思った。

自殺願望があるとかいう話ではなくて、漠然と、ただ選択肢としてそこにある感じだ。

推しがいなくなってから、それを前よりもはっきりと認識するようになった。

推しは自分の魂とこの世までもを繋ぎ止めていたと思うと、本当に感謝しかない。

推しのことは今でも好きだ。

だけれど前ほどの感情はない。

もう好きはアップデートされない。

脚の怪我で、歌でしかコンサートに参加出来なかったあの日の推しの表情が、私の真ん中で色褪せていく。

それでも私も、あかりも生きていかなければならないから、重い腰を持ち上げる。

彼女は部屋を掃除して、私はバイトに向かう。

次に寄りかかれるものを探して、空っぽの人生を歩んでいく。

 

 この小説を読み終わった後、すごく疲れた。

頭の中の引き出しを全部開けられて、自分自身の情報が引きずり出されたからだ。

嫌な記憶も、熱い思い出も全部が私なのに、他人の人生を見ているような気持ちになった。

同年代だからこそ伝わる表現や、言い表せない気持ち悪さを共有できた気になって、勝手に感動した。

自分は充分苦しんできて、周りはのうのうと生きていて良いなぁなんて思っていたけれど、もしかしたらいつか推していたあの子も、向かいで電車を待つあの人もそれぞれの苦しみを抱えているのかもしれない。

それらを分かり合うことは絶対に出来ないと思う。

だからこそ、自分で向き合っていくしかないのだとも、思う。

カメラロールに残る推しがいなくなる頃、私は自分の人生をどう歩んでいるだろうか。